宮崎駿は本名だが、”秋津三朗”・”照樹務”という別名を使用していた!”照樹務”は制作社名「テレコム」が由来だった、漫画家”秋津三郎”はペンネームだったなど調査!!

男性芸能人

こんにちは!のんびりティータイムブログへようこそ。

 

今回は、映画監督・脚本家の宮崎駿さんについて調査していきたいと思います。

 

宮崎駿さんは、ジブリ作品の映画監督・脚本家として、
数多くの作品を手掛けていることでも知られ、

 

最近では、

 

『君たちはどう生きるか』が、長編アニメ映画賞を受賞しました。

長編アニメ映画賞を受賞するのは、
「千と千尋の神隠し」以来21年ぶりとなる作品で、

宮崎監督にとっては、
今回、2度目のアカデミー賞を獲得されたということで話題になりました。

 

今回は、世界で有名な日本が誇る
映画監督の宮崎駿さんの本名について深堀していきたいと思います。

 

宮崎駿さんの本名は、
「宮崎駿」だということが分かりました。

 

しかし、

 

宮崎駿さんが
秋津 三朗(あきつ さぶろう)、
照樹 務(てれこむ)という別名で活動していたという情報があり、

 

宮崎駿さんが、なぜ別名で活動することを選んだのか、
そしてその別名の由来など”話題”の真相に迫りたいと思います。

 

また、宮崎駿さんの本名が明らかになった理由や、
本名について世間の声なども紹介していきます。

 

それでは、さっそく見ていきましょう!

 

宮崎駿の本名は?

宮崎駿さんは多くのジブリ作品を手掛けてこられた方で、

アニメ監督であり脚本家、そしてアニメーター、
漫画家としても活躍してこられた大変有名な方ですよね。

 

そんな日本を代表数する宮崎駿さんの本名はなんというのでしょうか?

気になるところですよね。

 

早速みていきたいと思います。

 

宮崎駿の本名は「宮崎駿」

宮崎駿さんの本名について、結論お伝えすると、

 

宮崎駿さんの本名は「宮崎駿」だということになります。

 

 

アニメ文化や、映像作品へ多大な影響を与えてこられた、
日本を代表する宮崎駿さん。

 

このように、

宮崎駿さんは本名で活動していたということが分かりました。

 

それでは、さらに見ていきましょう!

 

宮崎駿の本名はなぜ明らかになった?

宮崎駿さんの本名が明らかになった理由についてになりますが、

 

これについては、

宮崎駿さん自身、宮崎駿監督として、
ジブリなどの数多くの作品を手掛けており、

日本だけでなく、
世界でも広く本名『宮崎駿』の名前が知られている存在として、

本名については、もともと宮崎駿の名で活動していたということになります。

 

宮崎駿はなぜ別名で活動することにしたのか?

ジブリ作品などアニメのアニメーションの世界でおなじみの宮﨑駿さん。

 

実は、アニメータとして活動する以前、
漫画家だったという事は、あまり知られていません。

 

そして、

 

この活動初期に宮﨑駿さんが、
 別名で活動していた時期があったということが分かりました。

 

こちらの項目では、

 

宮崎駿さんがなぜ別名で活動することにしたのかについて、
深堀していきたいと思います。

 

それでは見ていきましょう!

 

漫画家としてペンネーム”秋津三郎”で活動

宮崎駿さんがアニメーションに興味を持つ前、
漫画家志向で漫画を描いていたということが分かりました。

 

この漫画家として活動していた時の、
ペンネームが『”秋津三郎”』だったということが分かりました。

 

これは、

宮崎駿さんが漫画を描いていた若い頃のペンネームで、
作品名は「砂漠の民」になります。

内容は、シルクロードをめぐる民族紛争を描いたもので、
漫画版「風の谷のナウシカ」の原点といわれる作品と言われているそうです。

 

それでは、

どうして漫画家として、
ペンネームで活動したのかについてになりますが、

 

これについては、
ペンネームで活動する事に関しての理由について、特に詳細は分かりませんでした。

 

しかしながら、

 

宮崎駿さんだけでなく漫画家としてペンネームで活動するのは、
様々な漫画家の方がペンネームで活動していることからも、
特筆すべき背景はないと考えられます。

 

アニメーターで別名”照樹務(てれこむ)”を使用

宮崎駿さんは、漫画家として活動していたと紹介しました。

 

それでは、

漫画家から転身した経緯について少し見ていきましょう。

 

宮崎駿さんは、その後、

アニメーションへの興味を持ったため、
大学卒業後、東映動画にアニメーターとして入社することになったそうです。

 

もちろん、

漫画家への未練もあり進路に不安もあったが、
ロシア(旧ソ連)アニメーション映画
「雪の女王」という作品に感銘を受けたことから

 

宮崎駿さんは、
本格的にアニメーションに取り組むようなったということなんですね。

 

*アニメーターとして宮崎駿の経歴について

・1968年、「太陽の王子ホルスの大冒険」完成。
・1974年、TVアニメ「アルプスの少女ハイジ」の場面設定や画面構成を担当
・1978年、「未来少年コナン」の事実上の初監督
・映画作品「ルパン三世 カリオストロの城」を手掛ける。

・映画監督デビュー
「リトル・ニモ」、「となりのトトロ」、「もののけ姫」、
「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」、「千と千尋の神隠し」、
ハウルの動く城」「崖の上のポニョ」等のアニメーション映画を製作。
このことから、”宮崎駿”の名を広く世界に認知させた。

 

このように、

宮崎駿さんが後世に残す偉大な作品を数多く輩出され、
アニメ分野のパイオニアとして全世界に影響を与える存在であり、
目覚ましい活躍をしてこられたという事が分かりますよね。

 

少し脱線してしましましたが、
それでは本題について見ていきましょう!

 

宮崎駿さんの『”照樹務(テレコム)”』という別名は、
どうして付けられたのでしょうか。。。

 

宮崎駿さんが
『ルパン三世 カリオストロの城』を担当したことで知られていますよね。

 

実は、その前に
アニメーターとして宮崎駿さんが、
制作会社「テレコム・アニメーション・フィルム」に所属していた頃に、

宮崎駿さんが別名の『”照樹務”』を使用していたということになります。

 

その時、

ルパン三世の通常のTVシリーズでも、
脚本・絵コンテ・演出を手掛けるアニメ作品が2本あったという事が分かりました。

 

宮崎駿の別名の由来は?

宮崎駿さんの別名の由来についてになりますが、

 

これについては、

それぞれの別名について見ていきたいと思います。

 

それでは見ていきましょう!

 

”秋津三郎”の由来は好きな漫画家”福島鉄次”の影響!?

日本一有名なクリエイターである宮崎駿さん。

 

こちらは、宮崎駿さんの22歳の頃の写真になります。

 

 

そして、

 

宮崎駿さんが週刊少年少女新聞で、

連載していたとされる『砂漠の民(1969年9月)』の、
著者が”秋津三郎”だったということになります。

 

*週刊少年少女新聞とは

少年少女新聞が発行していた、
小学生を主要な読者として想定した日本語の週刊新聞。
・2004年3月28日付、1727号をもって刊行終了、休刊

 

このように、

 

 

この連載漫画『砂漠の民』の作者”秋津三郎”が、
あの『宮崎駿』だったということなんですね。

 

 

それでは、

 

宮崎駿さんの漫画家時代、
ペンネームである”秋津三郎”を、
使用していたということが分かりましたが、

なぜペンネームの”秋津三郎”を使用したのかについて深堀していきたいと思います。

 

これについて、

 

結論をお伝えすると、

この”秋津三郎”こと宮崎駿さんが大ファンであったという
漫画家”福島鉄次”さんの絵物語『沙(砂)漠の魔王』の存在があったのが、
きっかけではないかという事になります。

 

つまり、

漫画家”秋津三郎”こと宮崎駿さんが、
当時、絵物語『沙(砂)漠の魔王』のファンを公言しており、
当作品の作者である”福島鉄次”さんに憧れていたということが考えられます。

そのため、

憧れていた”福島鉄次”の4文字の名前にちなんで
”秋津三郎”というペンネームを選んだ背景があると思われます。

 

また、このペンネーム”秋津三郎”は、
宮崎駿さんが漫画家として活動した時期に使用していたそうです。

 

ファンだった漫画家の名前にあやかり活躍を夢みた、
宮崎駿さんが、”秋津三郎”というペンネームを付けたのではないでしょうか。

 

それでは、

アニメ制作時の別名もあったので続いて見ていきましょう!

 

”照樹務”由来は制作会社名が「テレコム」だったから

宮崎駿さんのもう一つの別名が”照樹務”ということになりますが、

”照樹務”の読み方については、
「てれこむ」 と 「てるきつとむ」 どちらの読み方もあるそうです。

 

読み方は2通りあるようなんですが、

 

こちらの”照樹務(てれこむ)”の活動名は、
主にアニメーターとして活動する際に使用していたという事が分かりました。

 

これについては、

 

宮崎駿さんが、
制作会社「テレコム・アニメーション・フィルム」所属だった為、

 

宮崎駿さんが当時所属していた、
制作会社「テレコム・アニメーション・フィルム」の

「テレコム」から別名の着想を得て、

 

”テレコム”をもじって、
”照樹務(テレコム)”にしたということが考えられます。

 

なんとも、宮崎駿さんらしい遊び心にあふれるエピソードになります。

 

宮崎駿の本名についての世間の声は?

宮崎駿さんの本名について世間の声を見ていきたいと思います。

 

それでは見ていきましょう!

 

見たことあるなと挨拶交わし「宮崎駿」だと気付かなかった

*見たことあるなと挨拶したが「宮崎駿」本人とは気付かなかった

 

これについては、

 

漫画家として活動されていた時のペンネームが、
「秋津三朗」であり、本名だと思っていたが、

 

実は宮崎駿が本名で本人だということ気づいた瞬間だった、、、というポスト。

「サインが欲しい」と思った”時すでにおそし”ですね。

 

まとめ

以上、宮崎駿さんの”本名・別名”に関する情報や、
”話題の真相”について調査してきました。

 

今後も、宮崎駿さんの活躍に注目していきたいと思います。

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